小牧・長久手の戦いから
400年以上の歴史を巡る
現在は模擬天守閣(1987年の建築)ながら、城内には戦国時代からの貴重な遺構が数多く残されており、歴史散策のできるスポットです。
[目次]
岩崎城の歴史
室町時代の末期(1526年~1531年)に、織田信長の父(信秀)により築城されたのが始まりとされています。その後、羽柴秀吉(豊臣側)と織田信長・徳川家康陣営の戦いが繰り広げられた戦国時代に、尾張の国境(東側)を守る織田陣営の支城のひとつになったということです。戦国時代の武将のひとりで、丹羽氏清(にわ うじきよ)氏が初代城主とされています。
時代区分[早見表]
(1)「奈良」~「昭和」までの時代区分
(2)おもな建築物
- 奈良時代:東大寺(大仏開眼は745年)、春日大社などの建立
- 平安時代:平等院の建立(1052年)
- 鎌倉時代:鎌倉大仏の開眼(1243年)
- 室町時代:金閣寺の創建(1397年)・銀閣寺の創建(1490年)
- 安土桃山時代:大阪城の築城(1583年)
(3)奈良時代以前
- 飛鳥時代(592年~710年)
- 古墳時代/大和時代(3世紀中~7世紀)
※日本への仏教伝来(公伝)は538年が有力説 - 弥生時代(紀元前3世紀-5世紀~3世紀-5世紀)
城内の遺構
訪れたのは2月下旬です。冬の風は強かったものの、春の兆しもみられ穏やかな陽光でした。たいへん静かな場所で散歩コースとしても楽しめると思います。
(1)空堀
▲城を守る堀の跡です。小牧長久手の戦いの頃に改修されたとされ、最大幅は16メートル、もっとも深いところは5メートルということです。城の堀というと名古屋城の堀など水を張ったイメージですが、当時の山城では水のない「空堀=からぼり」が多かったそうです。この空堀は尾張地方では最大規模で貴重ということです。(堀を歩くこともできます)
(2)二の丸庭園
▲光と影が美しい庭園で穏やかな印象です。
(3)忠義碑
▲上記の説明によると、小牧・長久手の戦いの際に岩崎城で討ち死にした兵士(徳川陣営)に、徳川家康への忠義として称え綴られた碑ということです。
(4)発掘された井戸跡
水琴窟[勘助の井]
「二の丸庭園」の右側にあります。
▲「水琴窟=すいきんくつ」は、手や口を清める「手水鉢」で、空洞の中に水滴を落下させたときに出る音を反響させるように作られたもの。
水鉢(拡大) | ひしゃくで水を落とす |
▲再生ボタンで「水琴窟」の音が聞けます。(25妙)
天守閣
▲再現された天守閣(1987年の建築)の中は岩崎城に関する資料、日進市の歴史物などが展示されており、最上階からは東西南北の景色が見渡せます。しかし窓は解放されておらず、網が貼られているため展望は少し残念です。
下記の写真は拡大表示します。
東側の景色 | 北側の景色(岩崎御嶽山) |
南側の景色 | 西側の景色 |
歴史記念館
▲岩崎城の歴史に関する様々資料が展示されていました。(入場無料)写真撮影は禁止のため掲載はありません。
古墳
歴史記念館近くの古墳
▲6世紀ごろ(飛鳥時代)に造られたと推定される円墳(えんぷん)を復元したもの。
岩崎御嶽社(本院) | 岩崎御嶽社(中之院) | 岩崎御嶽社(奥之院) |
案内図
(1)Googleマップ
(2)交通機関
名古屋市営地下鉄東山線「星が丘」駅から、名鉄バス「五色園」行きに乗車し「岩崎御嶽口」で下車。瀬戸大府東海線を北の方向(坂を上る道)に徒歩で8分~10分くらいです。分かりやすい場所です。
▲バス停前の信号を渡ったあと左方向に進むと8分くらいで、案内看板が見えます。
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